自然保護推進委員会とは

40年以上前から四日市市内で、自然観察会や自然の調査を行ってきている団体です。

  1. 1、 会長メッセージ

    ~子どものころから多種多様な生き物にふれよう~

    令和3年 4月

    会長 門脇 寿美 

    1940年代から1950年代のころは、林や草むら、たんぼ、川には、いろいろな生き物が生息しており、子どもにとって格好の遊び場であった。カブトムシ、クワガタムシ、コガネムシ、オニヤンマなどをはじめ、川にはフナ、モロコ、ナマズ、カエル、イモリ、カメなどがたくさんいて、捕まえて遊んだり、観察したり、飼育したりするには事欠かなかった。

    私が自然保護推進委員会に入会し、活動に参加し始めたのは1980年ぐらいだろうか。観察会を通して本当にいろいろなことを先輩の先生や、ともに活動している仲間に教えていただいた。

    南部丘陵公園のアカマツが枯れ、本数が少なくなってきたこと、コウヤボウキなどの林縁の植物が減少してきたこと、開発や気候変動、外来種の増加などによる希少生物の減少・・・若いころに感動して見入ったハッチョウトンボはもうあの場所にはいないだろう。  こうやって思い返してみると残念なことが多いようだが、身近な自然の中にはまだまだ感動的なシーンがたくさんある。そしてその断片を観察会で共有することが次の興味・関心へとつながっていく。

    春先に、たくさんのアカガエルの卵に驚く、蒸し暑い夏の夜、セミの羽化を瞬きもせずに見つめる、たくさん落ちているどんぐりをワクワクしながら拾っているうち、かたい殻に丸い小さな穴が開いているのを思議に思う、冬の寒さの中、木の枝が春の準備を始めたそのあたりに、おさるの顔を見つける。

    豊かな自然体験は、子どもたちの感性を育て、私たちの生活に癒しと潤いをもたらす。 私たちはそんな身近な自然に目を向け、気づき、かかわり、そのちょっとした変化にも敏感でありたいと思う。

    それが、私たちが住む多様な環境において、動植物たちと共生していくことにつながっていくのではないかと思うからである。

    平成29年 6月

    前会長 桐生 定巳 

    1940年代から1950年代のころは、林や草むら、たんぼ、川には、いろいろな生き物が生息しており、子どもにとって格好の遊び場であった。カブトムシ、クワガタムシ、コガネムシ、オニヤンマなどをはじめ、川にはフナ、モロコ、ナマズ、カエル、イモリ、カメなどがたくさんいて、捕まえて遊んだり、観察したり、飼育したりするには事欠かなかった。

    子どもたちは学校から帰ると家を飛び出し、これらの生き物を相手に遊んだのだから面白くてたまらない。カエルの尻穴から麦わらで空気を吹き込み腹をふくらませて水中に潜れない様子をながめたり、カエルの皮膚を脚のところからむいて泳がせたり、トンボの腹をちぎって麦わらを差し込んで飛び方を比べたり、相当残酷な遊びをしていた。

    また、カエル釣りも楽しい遊びの一つであった。クサヨシの先に頭を取ったイナゴを通して、水面から頭だけ出しているカエルの目先にちらつかせると、カエルは餌にありつけたとばかり食いつくので、それを引き寄せて釣り上げる。いかに上手に釣り上げるかを友達と競い合ったものである。

    そんな遊びの中で、カエルの腹のヌメヌメや、トンボの胸のドキドキを感じたり、川の水や夏草のにおいを知ったり、五感をフルに使って認識していた。学校で教わらなくても遊びを通していろいろな生き物の生態を覚えた。

    子どものころ、小学校で言えば3年生ぐらいまでのいわゆる自我が目覚める以前の幼児期における自然体験が、非常に大切だと言われている。また、この時期の自然体験不足が、現在の子どもたちの生き方、ものの考え方、感性に大きな影響を与えているとも言われている。

    私たちが、子どものころ遊んだような野性味豊かな林や草むら、水田、川などは少なくなったし、今の子どもたちの生活もせわしなくなっている。

    1969年(昭和44年)から始められた本会主催の自然観察会もやがて半世紀になろうとしている。初めのころは小学生や中学生も多数参加していたが、30年くらい前からは、めっきり少なくなってしまった。

    感性や知性、豊かな創造性を身に付けるうえで、子どもの頃の自然体験は大変重要です。子ども、保護者も、先生も、自然観察会に足を運び、自然の中に身をおいて、多種多様な生き物に触れてほしいと願っています。

  2. 2、 会の設立と歴史

    本会設立年月日 1969年4月1日

    平成26年(2014)9月

    本会設立の経緯

    初代会長(創立会員) 石田 昇三

    石田昇三先生四日市自然保護推進委員会が設立されて活動を始めたのは、昭和44(1969)年のことです。

    設立の発端は、伊坂ダム竣工によると言っていいでしょう。たまたま、当時八郷地区の平津を地盤に議員活動をされていた久留倍股男氏から

    「伊坂ダムが竣工したが、このまま放置するのはもったいない。そこで自然保護活動を行いたいが、何かいい手はないか」

    と当時の三重県立博物館館長であった三輪勇四郎博士に相談を持ちかけられました。

    それを受け、博士から私たちに学校の理科の先生たちを中心に自然観察会を指導するグループを作って年間を通じて折々に自然観察会を催すとともに、市民に自然保護を訴える団体を組織し、活動してはとの提案があり、それに従って組織されたのが四日市自然保護推進委員会です。

    三輪先生と私は、昭和23(1948)年に、出来たばかりの新制四日市高校生物部で、夏休みに「*昆虫講演会」を開いたときに講師を依頼しに行ってからのお付き合いでした。

    会の初代会長には三輪先生に就いていただき、会員は約20名でスタートしました。その後二代目の会長には中部東小学校校長で退職された板見栄治郎氏になっていただき、板見氏の逝去に伴い2000年度途中から、私が三代目を引き継ぎました。

    設立当時の活動としては、昭和45(1975)年から3年間にわたって伊坂ダム周辺の自然を調査し、自然公園創立のための計画に従って環境整備を行い、昭和48年に事業の終結を機に『伊坂ダム自然観察園設置報告書』をまとめました。

    これには、私と村井俊郎氏(元事務局長)による「伊坂ダム周辺に生息する昆虫リスト」ほか数編が掲載されています。伊坂ダムでの調査報告が終わったあとも会は活動を継続し、会員の交代や観察場所の変更はあるものの、現在に至るまで45年間の長きにわたり、四日市市内での自然観察会を行ってきています。

    *この講演会には、三輪勇四郎博士(台湾総督府の台湾農業試験場長だったコメツキムシ研究の権威)だけでなく、岐阜の名和昆虫博物館3代目館長 名和正男氏、名古屋大学農学部昆虫学教室助手だった中根猛彦博士(後の日本甲虫分類学の中心人物)の三名士を招聘して四日市高校の講堂で開催しました。当時はよくもまあ高校生の身であんな大家を呼べたものだと話題になりました。

  3. 4、会の目的

    会の規約では、「主に四日市市内において、自然観察会や自然保護教育に関する事業を行い、もって四日市市の自然保護及び自然保護に関する人材の育成に寄与することを目的とする。」としています。

  4. 5、会の主な活動

    • ○ 自然観察会

      四日市市からの委託を受けて、市内の里山や公園、河川、湿地、海浜などいろいろな場所で年間10回の観察会を行っています。開催は、夜間の観察会など特別な場合を除いて、日曜日の午前中、10時から12時に開催します。参加は自由で、思い立った時にふらりと参加することもできます。この活動は私たちの活動の中心となるもので、40年以上も前から継続して行っているものです。


      観察会の様子や記録は→自然観察会報告

    • ○ 四日市の身近な自然調べ

      四日市公害と環境未来館活動室が主催する行事ですが、講師は全面的に本会の会員が中心になって行っています。 小学生以下の子どもたちを対象に、テーマを決めた観察会です。土曜日の午前中3時間(9時~12時)で実施しています。 この活動も年間10回程度実施しています。

    • ○ 自然調査などの活動

      移りゆく四日市の自然調べる活動として、市の委託を受け、写真集の作成(よっかいちの自然全4冊)や自然調査(四日市市域の自然調査報告書2010)、動植物の写真撮影などを行ってきました。

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